円山四条派の作品(掛け軸・屏風等)の販売と買取・鑑定査定について
当店では、円山四条派の作品(掛け軸・屏風など)の販売と買取りをしております。
商品のご購入については、店頭だけではなく、通信販売にも対応させていただきます。
当店で取り扱っております円山四条派の作品の一部をホームページに掲載しておりますので、よろしければご覧ください。
査定や買取りについても、店頭だけではなく、全国無料の出張鑑定・買取りを行っております。
お電話やインターネットでの簡易鑑定・査定も行っておりますので、とりあえず価値が知りたいといった場合にもお気軽にお問い合わせください。
円山四条派の主な取扱い作家と作品
名前がリンクになっている作家は、名前をクリックしていただくと各作家の詳細ページが開きます。
各作家の詳細ページでは、作家の経歴や、当店での取り扱い作品をご覧いただけます。
円山応挙 (1733~1795)
円山派の祖。18世紀後半の京都にあって日本絵画の新しい基本形を創り上げた。
松村呉春 (1752~1811)
四条派の祖。応挙の平明な技法と、俳諧に通じる洒脱みを融合した新しい画風が人気を呼んだ。
松村景文 (1779〜1843)
松村呉春の異母弟。呉春に学んだ。
駒井源騎 (1747〜1797)
円山応挙に学んだ。応門十哲の一人。長沢芦雪とともに応挙門下の二哲とも評された。
長澤芦雪 (1754~1799)
応門十哲の一人。前半期には応挙風の画を描いたが、後半期には大胆奔放な画風へと転じた。
山口素絢 (1759~1818)
応門十哲の一人。人物花鳥に優れ、特に柔らかい筆致で優美な当世美人の姿を描いて人気を得た。
山跡鶴嶺 (生没年不詳)
応門十哲の一人。円山応挙の肖像画を描いたことでも有名。
山本守礼 (1751〜1790)
円山応挙の門で学んだ。花鳥画や人物画を得意とした。
吉村孝敬 (1769〜1836)
円山応挙の晩年の門人。応門十哲の一人。
岸駒 (1749または1756~1838)
岸派の祖。越中国または加賀国の人。上洛後に円山応挙の画風を取り入れて、独自の画風を確立した。
渡辺南岳 (1767〜1813)
応門十哲の一人。円山四条派を江戸に広めた。
森徹山 (1775〜1841)
応門十哲の一人。森周峰の子。
奥文鳴 (不詳~1813)
応門十哲の一人。円山応挙の伝記「仙斎円山先生伝」を著した。
西村楠亭 (1775〜1834)
応門十哲の一人。京都に生まれた江戸時代後期の絵師。
上田耕夫 (1760〜1833)
応挙の門人。上田耕冲の父。京都や大坂を中心に活躍した。
島田元直 (1736〜1819)
応挙の門人。
円山応瑞 (1766〜1829)
円山応挙の長男で、円山派の二代目。
木下応受 (1777〜1815)
応門十哲の一人。円山応挙の次男であり、円山応震の父。
円山応震 (1790〜1838)
木下応受の子。伯父の円山応瑞の養子となり、円山派の三代目となった。
円山応立 (1817〜1875)
円山応震の養子となり、円山派を継いだ。
原在中 (1750〜1837)
原派の祖。円山応挙に学んだとされている。
原在正 (1777〜1810)
原在中の長男。父に画を学び、その画技は父以上と評された。
原在明 (1778〜1844)
原在中の次男。原派の二代目。
月僊 (1741~1809)
応挙の門人。名古屋生まれの画僧。
大西椿年 (1792〜1851)
渡辺南岳が江戸に一時移り住んだ際に入門した。
長沢蘆洲 (1767〜1847)
長沢芦雪の養子で、芦雪に画を学んだ。
長沢芦鳳 (1804〜1871)
父である長澤廬洲から絵を学んだ。
岸岱 (1782〜1865)
父・岸駒に画を学び岸派を継承した。
岸連山 (1804〜1859)
岸駒に画を学び、のちに養子となって岸派をついだ。
岸礼 (1816〜1883)
岸岱の次男。
岸竹堂 (1826〜1897)
岸連山に画を学び、岸家の養子となった。
森一鳳 (1798~1871)
応門十哲の一人である森徹山を継いだ森派の絵師。
森寛斎 (1814〜1894)
森徹山に日本画を学び、養子となった森派の絵師。明治時代には今応挙(いまおうきょ)とも呼ばれた。
中島来章 (1796〜1871)
幕末期、円山派の重鎮。平安四名家の一人と称され一世を風靡した。
幸野楳嶺 (1844-1895)
明治期の京都画壇を牽引した中心人物。竹内栖鳳、菊池芳文ら多数の門人を指導した。
川端玉章 (1842~1913)
正統な円山派を継いだ画風で、山水画や花鳥画を得意とした。
岡本豊彦 (1773~1845)
呉春の門人。呉春風の花鳥画、人物画、あるいは南画風を加味して山水画を得意とした。
柴田義董 (1780~1819)
人物画を得意とし、呉春門下の最高の画家と称された。
小田海僊 (1785~1862)
呉春の門人。はじめ四条派風の絵を描いたが、頼山陽と交流を持ってからは南画へ傾倒した。
鈴木南嶺 (1775〜1844)
渡辺南岳に画を学んだ。弟子に柴田是真がいる。
上田耕冲 (1819~1911)
上田耕夫の子。父に画を学んだ。
上田耕甫 (1860~1944)
上田耕冲の子。父から画業を学び、花鳥画をよくした。
塩川文麟 (1808〜1877)
岡本豊彦に学んだ。幕末から明治にかけての京都画壇の重鎮。門下に幸野楳嶺、野村文挙などがいる。
野村文挙 (1854~1911)
明治時代に活躍した四条派の画家。塩川文麟に学んだ。
横山清暉 (1792〜1864)
松村景文に画を学んだ。四条派を代表する画家の一人。
前川五嶺 (1805~1874)
柴田義董、松村景文に四条派の教えを受け、人物画・花鳥画を得意とした。
柴田是真 (1807~1891)
鈴木南嶺と岡本豊彦に教えを受けた。内外の博覧会に出品して好評を博し、帝室技芸員にも任命された。
鈴木百年 (1825~1891)
円山派の大西椿年に教えを受けた。京都府画学校の教師を務め、門下には今尾景年、久保田米僊らがいる。
今尾景年 (1845〜1924)
鈴木百年の門人。明治から大正にかけて、京都画壇の第一線で活躍した。門下には木島桜谷などがいる。
鈴木松年 (1848~1918)
鈴木百年の長男。上村松園の最初の師。豪快な作風で「今蕭白」とも呼ばれた。
久保田米僊 (1852~1906)
鈴木百年に学んだ。幸野楳嶺や望月玉泉らと京都府画学校の創立に携わる。
菊池芳文 (1862~1918)
京都画壇で活躍。幸野楳嶺門下の四天王に数えられる。
谷口香嶠 (1864~1915)
幸野楳嶺門の四天王と呼ばれる。京都随一の歴史画家となった。
竹内栖鳳 (1864~1942)
幸野楳嶺に師事。近代京都画壇の中心的な存在として活躍。
都路華香 (1871〜1931)
楳嶺門下四天王に数えられる。京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校の校長なども務めた。
山元春挙 (1872~1933)
竹内栖鳳と並び称された京都画壇の重鎮。野村文挙、森寛斎に円山派の教えを受ける。
内海吉堂 (1850~1925)
四条派の森寛斉・塩川文麟に学んだが、のちに南画家に転じた。
前川文嶺 (1837~1917)
松村景文門下の画家であった前川五嶺の子。明治の京都画壇で活躍した。
森川曽文 (1847~1902)
前川五嶺に師事し、のち長谷川玉峰にも学んだ。四条派の正統を継いで、山水や花鳥を能くした。
川村曼舟 (1880〜1942)
山元春挙門下の四天王と呼ばれた。関西画壇の雄として活躍。
望月金鳳 (1846〜1915)
森二鳳、西山完瑛に師事。花鳥画や動物画を得意とした。
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