柴田義董 (しばたぎとう)
柴田義董(1780-1819)は、備前に生まれた四条派の画家。
生家が廻船問屋を営む富豪であり、少年期より京都で呉春の教えを受けた。特に人物画を得意とし、呉春門下の最高の画家と称された。京都の富小路四条に居を構えたが、故郷の岡山でも活躍した。また、大原呑舟、前川五嶺、小野雲鵬などの弟子を育てた。字は威仲。通称は喜太郎、喜太楼。号は琴渚、琴海、琴江など。「唐獅子図襖(倉敷市・蓮台寺蔵)」「妓女図(岡山県立博物館蔵)」「美人図」等の作品がある。
柴田義董(1780-1819)は、備前に生まれた四条派の画家。
生家が廻船問屋を営む富豪であり、少年期より京都で呉春の教えを受けた。特に人物画を得意とし、呉春門下の最高の画家と称された。京都の富小路四条に居を構えたが、故郷の岡山でも活躍した。また、大原呑舟、前川五嶺、小野雲鵬などの弟子を育てた。字は威仲。通称は喜太郎、喜太楼。号は琴渚、琴海、琴江など。「唐獅子図襖(倉敷市・蓮台寺蔵)」「妓女図(岡山県立博物館蔵)」「美人図」等の作品がある。