松花堂昭乗 (しょうかどうしょうじょう)
松花堂昭乗(1584〜1639)は、男山岩清水八幡宮瀧本坊の社僧で、書画に優れた。
17歳で出家後、瀧本坊実乗から真言密教を学んで阿闍梨法印の位に就き、実乗没後の寛永4年に瀧本坊住持となった。
晩年、瀧本坊を弟子に譲って男山の南に営んだ松花堂に隠棲してからは、小堀遠州、烏丸光廣、石川丈山ら幅広い階層と交友を結び、和歌や連歌、茶の湯など風雅三昧の生活を送った。
書は本阿弥光悦、近衛信伊とともに「寛永の三筆」の一人と称される。
松花堂昭乗(1584〜1639)は、男山岩清水八幡宮瀧本坊の社僧で、書画に優れた。
17歳で出家後、瀧本坊実乗から真言密教を学んで阿闍梨法印の位に就き、実乗没後の寛永4年に瀧本坊住持となった。
晩年、瀧本坊を弟子に譲って男山の南に営んだ松花堂に隠棲してからは、小堀遠州、烏丸光廣、石川丈山ら幅広い階層と交友を結び、和歌や連歌、茶の湯など風雅三昧の生活を送った。
書は本阿弥光悦、近衛信伊とともに「寛永の三筆」の一人と称される。