近衛信尹 (このえのぶただ)
近衛信尹(1565〜1614)は、桃山時代から江戸時代初期の公卿。
関白近衛前久の子として生まれ、初名を信基と称した。
天正5年に織田信長の加冠により元服して信輔と名乗り、のち信尹と改名した。
和歌や茶道など諸芸に長けているなか、とりわけ書に優れ、伝統的な青蓮院流を学びながらも豪快で力強い運筆によって独創的な書風を確立し、本阿弥光悦・松花堂昭乗とともに寛永の三筆に数えられた。
近衛信尹(1565〜1614)は、桃山時代から江戸時代初期の公卿。
関白近衛前久の子として生まれ、初名を信基と称した。
天正5年に織田信長の加冠により元服して信輔と名乗り、のち信尹と改名した。
和歌や茶道など諸芸に長けているなか、とりわけ書に優れ、伝統的な青蓮院流を学びながらも豪快で力強い運筆によって独創的な書風を確立し、本阿弥光悦・松花堂昭乗とともに寛永の三筆に数えられた。