本阿弥光悦 (ほんあみこうえつ)
本阿弥光悦(1558~1637)は、刀剣の研磨、鑑定を家業とする本阿弥家に生まれる。1615年の大阪夏の陣の後、58歳の時徳川家康から洛北・鷹峯に土地を与えられ、ここに町衆や職人らを集めて光悦村をつくった。
光悦は多彩であり、蒔絵、陶芸、書などに作品を残している。
ただ、<舟橋蒔絵硯箱>のような蒔絵は光悦自身がつくったものではなく、アートディレクターのような役割をしてつくらせたものだろうし、<不二山>のような陶芸も、仕上げは職人が行ったようだ。
一方で、書は近衛信伊、松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」の一人と称される光悦自身の手によるものである。そして、その光悦の書が美しい下絵で引き立てられた作品が<鶴下絵三十六歌仙和歌巻>である。
それら数点の巻物の下絵を描いたのが俵屋宗達だった。