中林梧竹 (なかばやしごちく)
中林梧竹(1827~1913)は、中林経緯の長男として佐賀県に生まれる。名は隆経、通称彦四郎、字は子達、号は梧竹、別に個閑、忘言、鳳栖軒、剣書閣主人がある。
弘化2年(1845)藩命によって上京し、山内香雪に入門した。維新後、長崎県庁に就職、清国長崎領事の余元眉の知遇を得て、明治15年(1882)その帰国に伴い清国に渡る。余氏の師、藩存に教えを受け、秦漢六朝の書を学び、17年に古碑法帖を携えて帰国した。30年にも北京を訪ねている。帰国後、上京して副島種臣の斡旋により銀座の洋服店伊勢幸で籠居し、書三昧に浸る。董其昌から王羲之、さらに各種の金石に至るまで幅広く古典を渉猟して独創的な書風を確立した。長鋒柔毫の筆を駆使した規模の大きい闊達な作品が多く残っている。書論に『梧竹堂書話』がある。