鳥居清長 (とりいきよなが)
鳥居清長(1752~1815)は、鳥居家三代清満の門人で、4代目を継ぐ。初期の紅摺絵は清満風であるが、次第に春章の似顔絵や重政、湖龍斉らの美人画の作風を取り入れていった。天明期に入ると諸家の影響を離れ、背丈の高い、健康的な独自の女性像を作り上げた。遠近法を用いた現実的な江戸の風景の中に、均整のとれた立ち姿の女性を配した。
清長の女性像は当時の美人画界を席巻した。役者絵では音楽を受けもつ地方の人々までを画中に描き加えた「出語り図」という形式を創始した。天明7年頃鳥居家4代目を継いだ後、家業の芝居看板絵や番付絵に専念した。