鳥居清信 (とりいきよのぶ)
鳥居清信(1664~1729)は、1687年大阪の女形役者であった父鳥居清元と共に江戸の難波町に移住。丸顔で鼻筋の通った明るい表情の豊満体躯の女性像を描き、衣装には太くリズミカルな衣紋線を用いた。役者絵では、足を瓢箪のような形に誇張し、筋肉の盛り上がりを肥痩の変化の強いミミズの様な線で表す「瓢箪足・蚯蚓描」という描法で、勇壮な役者の姿を象徴的に描き出した。一枚絵は美人画、武者画もあるが、役者絵が圧倒的に多く、役者絵を浮世絵版画の重要な画題として確立させた。清信の創始した鳥居派は、役者の絵看板や芝居番付などを家業として江戸の歌舞伎界との結びつきを堅持し300年世襲され、現代でも続く流派となった。