礒田湖龍斎 (いそだこりゅうさい)
礒田湖龍斎(1735~没年不詳)は、江戸小川町土屋家の浪人。両国橋広小路薬研堀に居住。西村重長門人と伝えるが不詳。明和から天明にかけて活躍。明和期には春広の名で鈴木春信風の美人画を描くが、しだいに量感のある体躯の、独自の女性像を確立していった。
縦長の画面形式である柱絵に秀で、好色的なあぶな絵、秘画も多く描き、黄表紙の作品においても優れた技量を示している。天明2年に法橋に叙せられ、晩年は肉筆画に専念した。代表作は、「雛形若菜の初模様」など。