勝川春章 (かつかわしゅんしょう)
勝川春章(1726~1792)は、宮川長春の弟子・宮川春水に学び、当初、宮川や勝宮川を名乗るが勝川と改める。英派の高嵩谷にも学んだという。一筆斉文調とともに役者似顔絵の創始に大きく貢献した。文調が安永元年に作画を停止したあとは、第一人者として間倍判という大きな画面に役者の半身像を描く大首絵等、似顔役者絵の諸形式を生み出した。写実を基調としながらも、役者の顔の長所を引き出して描き、舞台姿だけでなく、楽屋や邸宅など舞台から降りた役者の素顔をとらえて歌舞伎の贔屓客の期待に応えた。天明期に入ると主力を美人画へ転じ、「春草一幅値千金」と称揚されるほど、多くの肉筆美人画を優品を制作した。