宮川長春 (みやがわちょうしゅん)
宮川長春(1682~1752)は、土佐派を学んだと伝えるが、菱川師宣の人物構成や画題、懐月堂安度の豊満で堂々とした人物表現を吸収しながら、流麗な描写と華麗な色調を用い、格調高い画風を築いた。肉筆画に専念し、版画は制作しなかったと推測されている。
多くの作品は遊郭の女性を題材としたものであるが、遊女の立ち姿を類型的に量産した懐月堂派とは違い、花見や画巻など多岐にわらる画面形式の肉筆画を1点づつ精緻に仕上げた。1749年宮川長春一門が、日光東照宮修理賃金未払いの件で狩野春賀一門と刃傷事件を起こし、これにより宮川派は解体した。その後、門下の春水から勝川春章が出て、一門を継承した。