浦上玉堂 (うらがみぎょくどう)
浦上玉堂(1745~1820)は、備中鴨方藩の藩士の次男として生まれる。若いころは模範的な藩士だったが、1794年、50歳で脱藩し、全国を遊歴したのち、晩年は京都に定住した。山水図を描き、墨のかすれやにじみを強調し、きわめて個性的な山水表現をつくり出した。
少ないモチーフと技法を繰り返し、典拠からの逸脱を極限まで追求することで、逆に中国の文人画に近い表現を実現した。代表作<東雲し雪図>はそうした表現の真骨頂である。
浦上玉堂(1745~1820)は、備中鴨方藩の藩士の次男として生まれる。若いころは模範的な藩士だったが、1794年、50歳で脱藩し、全国を遊歴したのち、晩年は京都に定住した。山水図を描き、墨のかすれやにじみを強調し、きわめて個性的な山水表現をつくり出した。
少ないモチーフと技法を繰り返し、典拠からの逸脱を極限まで追求することで、逆に中国の文人画に近い表現を実現した。代表作<東雲し雪図>はそうした表現の真骨頂である。