与謝蕪村 (よさぶそん)
与謝蕪村(1716~1783)は、大雅よりも7歳年上で、1716年に大阪で生まれた。
20歳頃江戸へ行き、俳諧師を志し、その後10年ほど関東や東北地方を遊歴して各地で俳諧活動を行いながら、1751年36歳で京都へ上がる。
讃岐で良質の中国絵画に接し、新奇な中国主題を描いた。それを確立するのは、大雅との合作「十便十宜図」以降である。「十便十宜図」で、大雅との画技の差を歴然と感じた蕪村は、それを克服する過程で、俳諧と絵画が融合し、また、日本と中国が融合した独自の画風を築きあげていった。
与謝蕪村の基準作品について
基準作品とは、注文主が分かり、描かれた年月が分かり、真筆であるという事に揺るぎのない作品などをさします。
与謝蕪村の作品の評価や価格は、基準作品と描き込みの差を比較することで決まります。なお、作品を比較する場合は、同じ年代に描かれた基準作品と比べること等が重要です。
【与謝蕪村の基準作品】
静舞図屏風 六曲一隻 個人蔵
田楽茶屋図屏風 六曲一隻 個人蔵
十二神仙図押絵貼屏風 六曲一双 個人蔵
天橋立図 宝暦7年(1757年) 個人蔵
丹後を離れるにあたり宮津の閑雲山真照寺で制作した作品
倣王叔明山水図屏風 六曲一隻 宝暦10年(1760年) 京都国立博物館
維摩・龍・虎図 三幅対 宝暦10年(1760年) 滋賀・五村別院
倣銭貢山水図 京都国立博物館
猛虎飛瀑図 明和4年(1767年) 福田美術館
晩秋遊鹿図屏風 四曲一双 逸翁美術館 (重要美術品)
仔犬図襖 四面 個人蔵
三顧図 個人蔵
松林帰樵図 逸翁美術館
竹林茅屋・柳蔭騎路図屏風 六曲一双 個人蔵 (重要文化財)
鳶・鴉図 双幅 北村美術館 (重要文化財)
峨眉露頂図巻 個人蔵 (重要文化財)
夜色楼台図 個人蔵 (国宝)
富嶽列松図 愛知県美術館(木村定三コレクション) (重要文化財)
奥の細道巻 安永7年(1778年) 海の見える杜美術館
奥の細道巻 安永7年(1778年) 京都国立博物館 (重要文化財)
野ざらし紀行図屏風 六曲一隻 安永7年(1778年) 個人蔵 (重要文化財)
奥の細道屏風 安永8年 山形美術館 (重要文化財)
奥の細道巻 安永8年 逸翁美術館 (重要文化財)
「ちいもはゝも」画賛 蕪村・応挙合作 海の見える杜美術館
「蕪村書状」(重要文化財、文化庁保管)より蕪村の弟子の寺村百池が応挙に頼んだ事がわかっている
「学問は」自画賛 個人蔵
「雪月花」自画賛 逸翁美術館
若竹図 愛知県美術館(木村定三コレクション)
「又平に」自画賛 逸翁美術館
紫陽花にほととぎす図 愛知県美術館(木村定三コレクション)
太祇馬提灯図 早稲田大学会津八一記念美術館(富岡コレクション)
蕪村と炭太祇の交流を示す作品。
蕪村筆発句「桐火桶」月渓証画陶淵明図(嫁入手) 逸翁美術館
(嫁入手)とは、蕪村が没する際、後事を弟子の月渓・梅亭に頼んだ。二人が蕪村の自筆句稿や冊子、巻物などに句意を描き、証文を書き、蕪村の娘の再婚資をあつめた物をいう。