彭城百川 (さかきひゃくせん)
彭城百川(1697~1752)は、尾張国名古屋の薬種商に生まれる。はじめ俳諧の道に入って、松角、のちに昇角と号し、三十代になって京に移り、百川と号した。絵は中国の元明画や画譜、日本の古画に学び、作風は多用である。大画面では柔らかく堂々とした筆致をみせる一方、軽妙な俳画にも優品がある。また、日本で初めて中国の南宋画様式の本格的な山水画を描いたとされ、池大雅、与謝蕪村へとつづく日本の文人画の先駆者の一人である。
彭城百川(1697~1752)は、尾張国名古屋の薬種商に生まれる。はじめ俳諧の道に入って、松角、のちに昇角と号し、三十代になって京に移り、百川と号した。絵は中国の元明画や画譜、日本の古画に学び、作風は多用である。大画面では柔らかく堂々とした筆致をみせる一方、軽妙な俳画にも優品がある。また、日本で初めて中国の南宋画様式の本格的な山水画を描いたとされ、池大雅、与謝蕪村へとつづく日本の文人画の先駆者の一人である。