窪俊満 (くぼしゅんまん)
窪俊満(1757~1820)は、はじめは文人画と南ピン派を学んだ建部綾足の門人であった祖父の窪田政春、次いで楫取魚彦に学び、安永7年頃北尾重政の門下に入る。天明中期から寛政初期にかけて、鳥居清長風の典雅な美人画を錦絵、肉筆画にて制作。
特に紅などの派手な色を使用せず、墨を中心に紫、緑を用いて配色した紫絵を得意とした。寛政期以後は1枚絵を制作せず、摺物と肉筆画に専念した。また、狂歌にも本格的に取り組み、伯楽連の主催者として、狂歌本の挿絵や狂歌摺物を数多く手がけた。戯作は南陀伽紫欄、狂歌には一節千杖、俳諧には塩辛房と号した。