高田敬輔 (たかだけいほ)
高田敬輔(1674~1755)は、近江国日野に生まれる。京狩野の狩野永敬に学び、師とともに仁和寺の用をつとめる。仏画の大作を描くなど活躍し、62歳で法橋に、後に法眼に叙された。寛保4年から一時期、江戸で活動した。門下には関東に店を持つ近江日野商人もおり、島崎雲圃とその弟子、小泉斐らが敬輔に教えを受けたことが知られている。水墨画、仏画をよくし、力強く濃淡自在の墨線とダイナミックな構図による作品を残した。
高田敬輔(1674~1755)は、近江国日野に生まれる。京狩野の狩野永敬に学び、師とともに仁和寺の用をつとめる。仏画の大作を描くなど活躍し、62歳で法橋に、後に法眼に叙された。寛保4年から一時期、江戸で活動した。門下には関東に店を持つ近江日野商人もおり、島崎雲圃とその弟子、小泉斐らが敬輔に教えを受けたことが知られている。水墨画、仏画をよくし、力強く濃淡自在の墨線とダイナミックな構図による作品を残した。