狩野山楽 (かのうさんらく)
狩野山楽(1559~1635)は、狩野永徳のエネルギーにあふれるスケールの大きさを最も受け継いだのが山楽である。豊臣家、五摂家の一つである九条家と関係が深かった。ところが1615年の大阪夏の陣で、徳川軍により豊臣家が滅ぼされる。
それに伴い、豊臣家と縁が深かったとの理由で山楽は徳川方により残党狩りの標的となり、京都の男山八幡宮に逃げ込む事態となる。その際、助命に尽力したのが九条幸家だった。
命をつないだ山楽は九条家を頼り、活動拠点を大阪から京都に移す。その京都の大覚寺障壁画や<龍虎図屏風>(妙心寺)などが残っている。