張月樵 (ちょうげっしょう)
張月樵(1772~1832)は、彦根城下の表具師の子として生まれる。京に上り、市川君圭に画を学び、次いで松村月渓に師事し月樵の号を与えられる。
月樵は長沢芦雪と特に親しくし、円山応挙没後、寛政10年頃に芦雪とともに美濃までの旅にでる。
尾張徳川家の御用絵師として、名字帯刀を許される。藩主から将軍家献上品として「孔雀と菊図」を描いたところ、江戸南画の大物谷文晁の目にとまり、激賞を受けた。
張月樵(1772~1832)は、彦根城下の表具師の子として生まれる。京に上り、市川君圭に画を学び、次いで松村月渓に師事し月樵の号を与えられる。
月樵は長沢芦雪と特に親しくし、円山応挙没後、寛政10年頃に芦雪とともに美濃までの旅にでる。
尾張徳川家の御用絵師として、名字帯刀を許される。藩主から将軍家献上品として「孔雀と菊図」を描いたところ、江戸南画の大物谷文晁の目にとまり、激賞を受けた。