皆川淇園 (みながわきえん)
皆川淇園(1735-1807)は、京都に生まれた江戸時代後期の儒者。
若くから漢字の字義と易学に興味を持ち研究、開物学という自説を提唱した。私塾弘道館も開いて、多くの門下を育成した。また、望月玉蟾、円山応挙らに画の教えを受け、書画も得意とした。呉春や岸駒・長沢蘆雪らとも交流があった。
名は愿(げん)、字は伯恭、通称は文蔵。別号に有斐斎など。
「名疇」「淇園詩話」「易学開物」「易学階梯」「易原」などの著作がある。
皆川淇園(1735-1807)は、京都に生まれた江戸時代後期の儒者。
若くから漢字の字義と易学に興味を持ち研究、開物学という自説を提唱した。私塾弘道館も開いて、多くの門下を育成した。また、望月玉蟾、円山応挙らに画の教えを受け、書画も得意とした。呉春や岸駒・長沢蘆雪らとも交流があった。
名は愿(げん)、字は伯恭、通称は文蔵。別号に有斐斎など。
「名疇」「淇園詩話」「易学開物」「易学階梯」「易原」などの著作がある。