酒井抱一 (さかいほういつ)
酒井抱一(1761~1828)は、姫路藩主酒井家の次男であり、高貴な譜代大名の家に生まれる。酒井家歴代当主は文雅の道に親しみ、絵画においては狩野派や南ぴん派の絵師などとの交流を重ねている。抱一自身も幼児より、さまざまな作品に触れる機会に当然恵まれていたはずだが、その彼が本格的に琳派芸術の神髄に目覚め、その吸収を図るのは、やや後の30代後期のことである。20代の抱一は、歌川豊春に師事し酷似した美人画を浮世絵師顔負けの出来で描いている。
さらに、遊郭や料亭で繰り広げられた文化人サークルで、俳諧や狂歌などにも高いレベルの作品を残している。師なき抱一は独自に俵屋宗達や尾形光琳のアイデンティティーともいうべき、たらし込みの技法をはじめとして、平面性を強く前面に押し出した装飾性豊かな造形世界を吸収していった。