歌川豊春 (うたがわとよはる)
歌川豊春(1735~1814)は、はじめ京都で狩野派の鶴沢探鯨に学んだが、江戸に下ってからは鳥山石燕に師事した。明和4年頃から春信風の美人画を描き始めたが、西洋の銅版画から透視遠近法を学び、明和から安永にかけて浮絵を多用し、天明期以降は肉筆美人画に主力を注いだ。歌川派の開祖として豊国や豊広を育てた。
歌川豊春(1735~1814)は、はじめ京都で狩野派の鶴沢探鯨に学んだが、江戸に下ってからは鳥山石燕に師事した。明和4年頃から春信風の美人画を描き始めたが、西洋の銅版画から透視遠近法を学び、明和から安永にかけて浮絵を多用し、天明期以降は肉筆美人画に主力を注いだ。歌川派の開祖として豊国や豊広を育てた。