田中一村 (たなかいっそん)
田中一村(1908~1977)は、昭和の日本画家。栃木県の出身。本名は孝。別号に米邨。奄美大島に移住して奄美の植物や鳥などを多く描いた。
田中一村の経歴
明治41年に彫刻家の田中稲村の長男として生まれた。幼い頃から水墨画を能くし神童と呼ばれる。
大正15年に芝中学校を卒業して東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に進学するが中退。父が病気だったこともあり米邨の号で水墨画を描いて生計を支えた。
昭和13年に千葉県に移住。昭和22年に川端龍子が主宰する青龍社展で「白い花」が初入選したが、翌年の同展で審査に納得できず青龍社を脱退した。この頃から「一村」を名乗るようになった。
その後は日展や院展に出品を続けたが落選が続いたため中央画壇とは決別。昭和33年12月に奄美大島に移住した。
昭和35年に千葉に帰郷して見合い等もしたが、昭和36年に奄美に戻り、大島紬工場で働いたりしながら絵を描き続けた。
中央画壇に認められることなく昭和52年に69歳でこの世を去ったが、没後にNHK「日曜美術館」や、南日本新聞の連載「アダンの画帖~田中一村伝」で注目されるようになり、全国巡回展「黒潮の画譜・田中一村展」も開催されるなど人気が高まった。
一村の作品は約600点が確認されているが、その多くは奄美大島の田中一村記念美術館と千葉市美術館に収蔵されている。