狩野興以 (かのうこうい)
狩野興以(1636歿)は、下野国足利に生まれた江戸前期の狩野派の画家。
狩野光信の弟子。光信の弟・孝信の子である狩野探幽、狩野尚信、狩野安信を育成し、その功により狩野の名を許された。
内裏女御御所対面所、二条城行幸御殿などの障壁画制作に携わる。
晩年には紀州徳川家の御用絵師をつとめ、のちに法橋となった。
姓は松屋、名は定信。字は中里。通称は弥左衛門。
「山水図屏風」(東京国立博物館蔵)、「観音・竜虎図」(長野建福寺蔵)などの作品がある。
狩野興以(1636歿)は、下野国足利に生まれた江戸前期の狩野派の画家。
狩野光信の弟子。光信の弟・孝信の子である狩野探幽、狩野尚信、狩野安信を育成し、その功により狩野の名を許された。
内裏女御御所対面所、二条城行幸御殿などの障壁画制作に携わる。
晩年には紀州徳川家の御用絵師をつとめ、のちに法橋となった。
姓は松屋、名は定信。字は中里。通称は弥左衛門。
「山水図屏風」(東京国立博物館蔵)、「観音・竜虎図」(長野建福寺蔵)などの作品がある。