明月曇寧 (めいげつどんねい)
明月曇寧(1727~1797)は、周防国大島郡日前村(山口県)の願行寺の智瞪の子として生まれた。幼名を義道、のちに明逸と改めた。字は曇寧、8月15日夜に生まれたことから明月と号したという。ほかに解脱隠居、化物園の号がある。15歳で伊予松山に移り、円光寺の義空和尚の門に従った。20歳のときに京阪に出て、さらに江戸にも行脚して仏典の理解を深めた。その間、荻生徂徠や服部南郭などと交わって古文辞学に触れた。34歳で円光寺に戻って義潭のあとを継いで住持となり、仏教以外の学問においても新たな機運をもたらした。