夏目漱石 (なつめそうせき)
夏目漱石(1867~1916)は、江戸牛込馬場下横町の夏目直克の五男として生まれた。名は金之助。幼時、塩原家の養子となるが、生家に戻り、21歳で夏目姓に復した。府立第一中学に入学したが、二松学舎に転じて漢詩文に親しむ。東京帝国大学英文科を卒業し、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校、東京帝国大学などで教鞭を執った。途中、英文学研究のためロンドンに留学、40歳で朝日新聞の招きに応じて社員となった。『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『草枕』などその著作は時代を超えて人口に膾炙している。
書画に親しんだことでも知られ、良寛や伊予の真言僧・明月、中林梧竹、副島種臣、さらには数種の古碑法帖などの書を愛蔵していた。漱石は貫名菘翁や頼山陽は全く評価せず、このころ流行した六朝風の書にも懐疑的であった。また、芸術の本質を悟り、「藝術は自己の表現に始つて、自己の表現に終るものである」(『文展と藝術』冒頭より)という言葉を遺している。