一絲文守 (いっしぶんしゅ)
一絲文守(1608〜1645)は、岩倉具堯の第三子として京都に生まれた。
烏丸光広、近衛信尋、後水尾天皇の御信向を忝うし、寛永15年京都西賀茂に霊源院、同18年丹波に大梅山法常寺を創建し、開山となった。
世寿僅かに39歳であった。
生前は愚堂・雲居・大愚など、禅の名匠と住来し、また松花堂昭乗と交わって画法を得る。
一絲文守(1608〜1645)は、岩倉具堯の第三子として京都に生まれた。
烏丸光広、近衛信尋、後水尾天皇の御信向を忝うし、寛永15年京都西賀茂に霊源院、同18年丹波に大梅山法常寺を創建し、開山となった。
世寿僅かに39歳であった。
生前は愚堂・雲居・大愚など、禅の名匠と住来し、また松花堂昭乗と交わって画法を得る。