奥文鳴 (おくぶんめい)
奥文鳴(不詳~1813)は、円山応挙に学び、応挙十哲に数えられるが、伝記には不明な点が多い。寛政度御所造営の願書には医師奥道栄の子・奥源次郎という名で記録に残る。大乗寺障壁画制作にも参加している。作風は「画乗要略」に「源琦、文鳴の設色精微」と記される通り、彩色の美しさに定評がある。円山応挙の伝記「仙斎円山先生伝」を著したことでも知られる。
奥文鳴(不詳~1813)は、円山応挙に学び、応挙十哲に数えられるが、伝記には不明な点が多い。寛政度御所造営の願書には医師奥道栄の子・奥源次郎という名で記録に残る。大乗寺障壁画制作にも参加している。作風は「画乗要略」に「源琦、文鳴の設色精微」と記される通り、彩色の美しさに定評がある。円山応挙の伝記「仙斎円山先生伝」を著したことでも知られる。