月僊 (げっせん)
月僊(1741~1809)は、名古屋の味噌商の子として生まれる。16歳で得度しその後、師はその画才をのばすためもあり、江戸増上寺での修行へと向かわせた。増上寺では四六世妙誉定月大僧正もその画才を認め、桜井雪館に学ばせ、また自分の名から一文字をとり「月僊」の号を与えた。20代のうちに江戸を去り、京の円山応挙の門に入り、その後、諸家の画法を学んだ。安永3年に知恩院末寺である伊勢古市の寂照寺の八世住職となり、得意の絵を売っては、伽羅の復興や貧しい人々の救済に役立てた。諸派を学んだ末に獲得した画技は月僊様とも言うべきものであるが、ひょろりとした痩身の体躯、小さく表された目などは、特に個性的である。