立原杏所 (たちはらきょうしょ)
立原杏所(1785~1840)は、江戸時代を代表する儒者立原翠軒の子として水戸に生まれる。父の元に出入りしていた弟子の林十江や、小泉斐らに画を習い、やがて十江とともに「水戸の南画」を代表する画家へと成長する。父翠軒は水戸にとどまらず非常に交友の広い文人学者で、その薫陶のもと杏所は育った。杏所は20代末に江戸・小石川の水戸藩邸勤務となり、南画家や文人と交流をするようになる。翠軒と交流があり、以前から指導を受けた谷文晁、その画塾に出入りし交流した渡辺崋山、椿椿山、といった面々と交流をもつ。江戸での杏所は藩主の信任も厚く、武士としての忠勤に励みつつ画道に精進し、一家を成した。