小田野直武 (おだのなおたけ)
小田野直武(1749~1780)は、秋田藩士。安永2年銅山方産物他所取次役を命じられ、江戸に出る。翌年「解体新書」の挿絵を担当。江戸では、平賀源内のもとで西洋画法を用いた洋風画を描いていたらしい。藩主・佐竹曙山とともに、いわゆる秋田蘭画の中心画家として知られる。
小田野直武(1749~1780)は、秋田藩士。安永2年銅山方産物他所取次役を命じられ、江戸に出る。翌年「解体新書」の挿絵を担当。江戸では、平賀源内のもとで西洋画法を用いた洋風画を描いていたらしい。藩主・佐竹曙山とともに、いわゆる秋田蘭画の中心画家として知られる。