岡倉天心 (おかくらてんしん)
岡倉天心(1863~1913)は、文部官僚として近代日本美術の礎をつくっただけでなく、教育者として思想家として多くの作家たちに強い影響を与えた人物である。明治10年代後半から美術行政にたずさわり、東京美術学校設立に奔走、開校後まもなく校長となり若手作家の育成に力を注いだ。しばしば破天荒な行動が問題視されたが、美術教育と美術制度の整備に取り組んだ結果、美校からは近代美術を背負っていく多くの人材が輩出された。
岡倉天心(1863~1913)は、文部官僚として近代日本美術の礎をつくっただけでなく、教育者として思想家として多くの作家たちに強い影響を与えた人物である。明治10年代後半から美術行政にたずさわり、東京美術学校設立に奔走、開校後まもなく校長となり若手作家の育成に力を注いだ。しばしば破天荒な行動が問題視されたが、美術教育と美術制度の整備に取り組んだ結果、美校からは近代美術を背負っていく多くの人材が輩出された。