頼山陽
四行書
Rai Sanyo
Calligraphy
掛軸 紙本 132cm×43,5cm(総丈215cm×57,5cm) 頼潔箱書 二重箱入
作品の状態について
画面、表装ともに良い状態です。
表装も良く、豪華な仕立てになっています。
咄汝海龍王敢拒王師東運糧咄汝北條虜比
我平家白面豎天子節刀在手中陸屠猾
賊海屠龍莫嗤相公面假鬚猙獰猶存舊
人奴々握四海非奴力祖宗生汝匡王國
詠史樂府之一 山陽外史手録
〈訓読〉
咄(とつ)、汝(なんじ)海の龍王。敢えて王師の東に糧を運ぶを拒む。
咄(とつ)、汝(なんじ)北條の虜。我を平家白面の豎(じゅ)に比すと。
天子の節刀は手中に在り。陸に猾賊(かつぞく)を屠(ほふ)り、海に龍を屠(ほふ)る。
嗤(わら)う莫(なか)れ 相公(しょうこう)の面の仮鬚(かしゅ)を。猙獰(そうだん)猶お存す旧人奴。
奴の四海を握る奴の力に非(あら)ず。祖宗の汝(なんじ)を生みて王国を匡(ただ)さしむ。
詠史楽府之一。山陽外史手録す。
〈大意〉
こら!お前、海の竜王!無礼にも帝の軍が東に糧秣(=兵と馬の糧食)を運ぶのを暴風起こして阻む気か?こら!お前、夷狄(=野蛮な異民族)北條!ワシを平家のなよなよ小僧(人もあろうに水鳥の羽音で逃げたあんなヤツ〔平維盛〕)とよくも一緒にしおったな。帝より賜った征夷の節刀、しかと手に。陸では狡猾の賊を滅ぼし、海では竜を退治した。笑うでないぞ、関白太政大臣なのにその顔につけ鬚をしても。いまだに抜けぬのじゃ、信長公の草履取りをしていた頃の荒々しく下品な面魂が。草履取りの天下取り、草履取りひとりの力でない。わが皇祖皇宗がお前をこの世に生んで、日本国を平定して皇威の復権をなさしめたのだ。
◯咄 大声でしかる声。こらっ。 ◯王師 帝王・天子の軍隊。 ◯白面 年が若く経験が乏しい。 ◯豎 人をいやしめて呼ぶことば。小僧。 ◯節刀 古代、出征の将軍または遣唐使の長官に天皇が下賜し、全権を委任するしるしとした刀。 ◯屠 屠(ほふ)る。敵を破る。 ◯猾賊 悪賢い人。 ◯嗤 嗤(わら)う。嘲笑する。あざわらう。 ◯相公 宰相の敬称。 ◯猙獰 荒々しく、怖いさま。 ◯四海 天下。全国各地。 ◯祖宗 始祖。帝王の祖先。または、広く、祖先のこと。 ◯手録 自分の手で記録すること。
〈解説〉
山陽の史観を詩的に表現した『日本楽府』の「罵龍王(龍王を罵る)」を四行に揮毫し、落款印に朱文方印「頼襄之印」と白文方印「頼氏子成」、関防印に白文長方印「匪莪」を押印した作品です。
『日本楽府』は中国・明の李東陽の「擬古楽府」に倣って、日本の史実から特徴的な出来事を選んだ楽府体の史詩66首を収録しています。古代(聖徳太子)から安土桃山時代(豊臣秀吉)までの歴史を歌謡風に詠じたものです。山陽が文政11年(1828)に脱稿し、門人の牧百峰が註を附して同年13年冬に刊行しました。また、揮毫される「罵龍王」は第六十三闋として収録され、豊臣秀吉の小田原征伐を扱った内容です。(Y)
作家について
頼山陽(1780~1832)は、頼春水の長男。広島藩の藩儒となった父から、厳しく育てられた山陽は若い頃から奇行に走り、やがて脱藩、京へ出て塾を開いた。山陽の周辺には木米、田能村竹田、岡田半江、浦上春琴など...
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