百拙元養 (ひゃくせつげんよう)
百拙元養(1668-1749)は、京都に生まれた江戸時代中期の黄檗宗の禅僧。俗姓は原田、道号は百拙、法諱は元養(一時元椿)、雅号に釣雪・葦庵叟・葦庵山人など。書画や詩歌、茶道も得意とした。臨済宗の大随玄機に教えを受けたが、後に師大随が黄檗宗仏国寺の高泉性潡に参じたためそれに従った。そして、高泉から法を嗣ついだ大随から印可を受けた。近衛家煕や烏丸光栄からの帰依を受けて、仏国寺の第9代、但馬豊岡興国寺の第5代などを歴任。京の郊外にあった尾形乾山旧居に海雲山法蔵寺を復興した。「破草鞋」等の著作がある。