尾形乾山 (おがたけんざん)
尾形乾山(1663~1743)は、尾形光琳の弟。1694年、32歳のときに二条家から鳴滝泉谷の山屋敷を拝領した。その近くにある仁和寺の門前では、それ以前に野々村仁清が御室窯をかまえていたため、乾山はその陶法を学ぶことができた。
そして1699年に初窯に成功し、乾山焼と名付けて売り出した。その鳴滝窯があった場所からは、さまざまな陶片が出土している。
そして、光琳が江戸から帰京すると、1712年に乾山は鳴滝窯を廃し、光琳の屋敷に近い二条丁子屋町に移り、光琳に絵付けを依頼して、<錆絵寿老図六角皿>のような兄弟合作の作品を手がけた。これが乾山焼の名声をさらに高めることにつながった。