慧林性機 (えりんしょうき)
慧林性機(1609-1681)は、明時代の中国・福建省に生まれた黄檗宗の僧。号ははじめ独知。40歳の時に万歳山・祇園について出家した。その後、隠元隆琦に師事し、隠元と共に来日した。長崎の崇福寺と興福寺、摂津・普門寺をへて、1661年(寛文元年)に隠元の法を嗣いで摂津・仏日寺の2代目住持となった。1680年(延宝8年)からは木庵性瑫の後を継いで萬福寺の3代目住持に就任したが、高齢のため翌年には退いて、独湛性瑩に4代目を譲った。「慧林禅師語録」などの語録がある。
慧林性機(1609-1681)は、明時代の中国・福建省に生まれた黄檗宗の僧。号ははじめ独知。40歳の時に万歳山・祇園について出家した。その後、隠元隆琦に師事し、隠元と共に来日した。長崎の崇福寺と興福寺、摂津・普門寺をへて、1661年(寛文元年)に隠元の法を嗣いで摂津・仏日寺の2代目住持となった。1680年(延宝8年)からは木庵性瑫の後を継いで萬福寺の3代目住持に就任したが、高齢のため翌年には退いて、独湛性瑩に4代目を譲った。「慧林禅師語録」などの語録がある。