亜欧堂田善 (あおうどうでんぜん)
亜欧堂田善(1748~1822)は、奥州白河藩の須賀川に生まれる。1794年、藩主・松平定信に技術者として抜擢され、銅版画の修得を命じられた。文化年間を中心に、細密な技巧を用いて、幕府天文編纂の地図「新訂万国全図」や解剖図、江戸名所図の数々を制作したほか、銅板を使った更紗や<両国図>などの油彩画も手がけた。
亜欧堂田善(1748~1822)は、奥州白河藩の須賀川に生まれる。1794年、藩主・松平定信に技術者として抜擢され、銅版画の修得を命じられた。文化年間を中心に、細密な技巧を用いて、幕府天文編纂の地図「新訂万国全図」や解剖図、江戸名所図の数々を制作したほか、銅板を使った更紗や<両国図>などの油彩画も手がけた。