狩野養川院惟信 (かのうようせんいんこれのぶ)
狩野養川院惟信(1753-1808)は、江戸時代中期~後期の狩野派の画家。
狩野栄川院典信の長男で、木挽町狩野家の7代目。狩野栄信は子。
父から画を学び、父の死後は跡を継ぎ幕府の奥絵師となった。江戸城の障壁画や京都御所関係の作品など多く絵画制作に携わり、法印の称号も授かっている。
名は惟信、幼名は栄次郎、別号に玄止斎。
弟子に鍬形蕙斎などがいる。
狩野養川院惟信(1753-1808)は、江戸時代中期~後期の狩野派の画家。
狩野栄川院典信の長男で、木挽町狩野家の7代目。狩野栄信は子。
父から画を学び、父の死後は跡を継ぎ幕府の奥絵師となった。江戸城の障壁画や京都御所関係の作品など多く絵画制作に携わり、法印の称号も授かっている。
名は惟信、幼名は栄次郎、別号に玄止斎。
弟子に鍬形蕙斎などがいる。