巻菱湖 (まきりょうこ)
巻菱湖(1777~1843)は、越後国巻村に館徳信の子として生まれ、母方の内藤家で養育された。出生の地名をとって巻姓を名乗り、名は大任、字は致遠、通称は右内、菱湖のほかに弘斎の号がある。幼時、句読を郷人の谷次郎兵衛に教わり、善導寺の興雲和尚に書を学んだという。19歳の時に江戸に出て亀田鵬斎の門に従い、儒学や詩を学んだ。この10年ほど後にはすでに学をなして各書体に精通し、『十体源流』を著している。貫名菘翁、市河米庵と並んで幕末の三筆の一人に数えられる。
巻菱湖(1777~1843)は、越後国巻村に館徳信の子として生まれ、母方の内藤家で養育された。出生の地名をとって巻姓を名乗り、名は大任、字は致遠、通称は右内、菱湖のほかに弘斎の号がある。幼時、句読を郷人の谷次郎兵衛に教わり、善導寺の興雲和尚に書を学んだという。19歳の時に江戸に出て亀田鵬斎の門に従い、儒学や詩を学んだ。この10年ほど後にはすでに学をなして各書体に精通し、『十体源流』を著している。貫名菘翁、市河米庵と並んで幕末の三筆の一人に数えられる。