奥原晴湖 (おくはらせいこ)
奥原晴湖(1837~1913)は、古河藩士池田政明の四女として生まれた。名は節、通称せい子。別号に石芳、秋琴、雲錦などがある。画房を墨吐煙雲楼と称した。漢学を芽根一鷗に、画を牧田水石に学んだ。のちに明清の諸家を研究して、清人鄭板橋に私淑した。29歳で奥原家の養女となり、上京して多くの文人墨客と交流した。詩書画に通じた木戸孝允が晴湖を庇護していたことはよく知られる。画家として立つにあたり、当時名を馳せた文人を招いて御披露目の宴を催したのを皮切りに、明治の東京の文墨界を代表する人物となった。特にこの時代に盛んに設けられた書画会に頻繁に顔を出し、男勝りな風貌と大胆な筆致で人びとを惹きつけた。