奥原晴湖
諸大家寄合描き
Okuhara Seiko
Flower and birds
掛軸 絹本 141cm×50cm(総丈214cm×66,5cm) 箱入
作品の状態について
画面に巻きシワと少しシミがあります。
表装裂は豪華な緞子が使われています。
<小野湖山>
轉旋誰道
關書法
卧水眠沙
意自深
軽与一経
交換去
山陰道士
彼何心
湖山醉翁
(読み)
転旋 誰か道ふ 書法に関(かかは)るを、水に臥し沙に眠りて 意自(おのづか)ら深し。
軽(かるがる)しく一経を与へ 交換し去る、山陰道士 彼何心か。 湖山酔翁。
○転旋 円を描いて回る。
(大意)
転旋が書法に関係していると誰が考えるだろうか。水の上に寝て水辺で休んで描くと自然とその情趣は深くなる。王羲之は自ら書写した『道徳経』と山陰道士の飼っていた白い鵞鳥とを、気軽に交換して立ち去った。山陰道士はあの時どういう気持ちであったのであろうか。
<奥原晴湖>
聯拳窺何物小魚潜
在渊 東海晴湖并畫
(読み)
拳を聯(つら)ねて 何物を窺ふか、小魚 潜みて淵に在(あ)り。 東海晴湖幷せて画く。
(大意)
白鷺はこぶしを並べて何かを狙っている。小魚は身の危険を感じて淵に潜んでいる。
<柳田正斎>
蓮花外憂又中通
略與高人氣象同 正齋
(読み)
蓮花の外憂 又た中(うち)に通る、略と高人とは 気象同じきな。 正斎。
○外憂 外部から受ける心配事。 ○略 道。一定の政治的主張または思想体系。 ○高人 身分の高い人。
(大意)
可憐に咲く蓮花が抱える外憂はさらに内側に達する。将来の事を前から思いを巡らす人と身分の高い人とが持つ風格は同じである。
<福島柳圃>
柳圃冩野薔薇
(読み)
柳圃 野薔薇を写す。
(大意)
柳圃が野薔薇を写した。
<安田老山>
烟波
宿潤
老山
(読み)
煙波 潤ひを宿す。 老山。
(大意)
煙波には瑞々しさを宿した。
<川上冬崖>
補紺菊者冬崖
(読み)
紺菊を補う者は冬崖。
(大意)
紺菊を埋め合わせたのは私、冬崖です。
<松岡環翠>
(読み)
環翠迂叟。
○迂叟 世事にうとい老人。
<服部波山>
(読み)
波山々人。
○山人 文人・画家・書家などの号につける語。
<滝 和亭>
和亭生寫游鵞
(読み)
和亭生 游鵝を写す。
(大意)
和亭が水に浮かぶ鵞鳥を写した。
本作は8人による寄合書きです。この種の雅会集図の風雅は相当に庶民に浸透していたそうです。奥原晴湖はカワセミ、安田老山は岩、松岡環翠は蓮、服部波山は水草と魚、福島柳圃は野薔薇、川上冬崖は紺菊、滝和亭は鵞鳥を描いています。小野湖山と柳田正斎の2人は画は描かず、賛のみを記しています。
小野湖山の賛は、『湖山近稿続集 上』に「詠鵞」と題し収まる七言絶句です。第3・4句は『晋書』巻80 列伝50に見える書聖・王羲之の故事「山陰換鵝」のことを詠んでいます。
奥原晴湖の賛は、『奥原晴湖画集』の「墨吐煙雲楼画題五絶詩鈔」に「蓮鷺」と題し収まる五言絶句の第3・4句です。この詩を半切書幅や画賛に揮毫した作品も確認できます。また、落款は明治前半期にしばしば書き込まれた「晴湖の東海書き」です。(Y)
【作家紹介】
・小野湖山(1814-1910)
滋賀県に生まれた漢詩人。本姓は横山氏。
はじめ家業である医を志したが、江戸に出て尾藤水竹、藤森弘庵に師事し、同時に玉池吟社に入って梁川星巌に詩を学んだ。三河吉田藩の藩儒となった。
維新後は一旦、新政府に出仕したが、まもなく致仕して東京に出て詩壇を代表する存在となった。明治16年(1883)に維新の功績をもって明治天皇から端渓硯を下賜され、これにちなんで書斎を賜硯楼と名付けた。
・柳田正斎(1797-1888)
千葉県佐原に生まれた書家。
江戸に出て昌平黌で学んだ。天保の末から神田於玉ヶ池に住んで書や詩を専らとし、安政の大火ののちは本所に居を移した。
趙子昂から王羲之に進んで一家をなした。
・安田老山(1830-1883)
美濃に生まれた南画家。
はじめは家業である医を修めたが、詩書画を好み長崎で日高鉄翁に学んだ。
長井雲坪とともに渡清して、各地を遊歴すると同時に胡公寿に師事した。帰国した時には無名で生活に窮し、再び渡清を企てるも日下部鳴鶴・巌谷一六と出会い、その画才が見出される。東京を代表する存在となり、胡公寿風の老山と鄭板橋風の奥原晴湖、2人の大陸風の画は大いにもてはやされた。
・松岡環翠(1818-1887)
画家。津藩士。
伊勢津藩士松岡光亨の子。名は光訓、通称は橘四郎、別号に蓮痴。
五十嵐竹沙に学び、墨蓮図を得意とした。
・服部波山(1827-1894)
茨城県に生まれた文人画家。
諸国を漫遊して自然を写生し、淡泊瀟洒な作風が世人に愛好された。
大沼枕山や中根半嶺らと交友を深め、詩・書をよくした。
・福島柳圃(1820-1889)
埼玉県に生まれた南画家。
江戸で四条派の柴田是真に師事し、のちに文人画に転じる。元明諸家の遺墨を模写し一家を成す。山水に巧みで詩も能くした。
・川上冬崖(1827-1881)
長野県に生まれた画家。近代日本洋画の先駆者として知られる。
青年期に江戸に出て大西椿年について四条派の画を学ぶ。26歳で川上家の養子となって幕府の蕃書調所に出仕し、画学局頭取に進んだ。維新後は、洋画塾、聴香読画館を開いて小山正太郞や松岡寿らを育てた。明治4年(1871)に洋画指導のための訳書『西画指南』を刊行した。
長三洲や鷲津毅堂、奥原晴湖らと交流し、東京の漢詩の結社に頻繁に出入し、同時に数多くの文人画を手がけた。
・滝 和亭(1832-1901)
江戸にて安芸藩浪士の子として生まれた。
画を大岡雲峰に学んだ。
長崎に遊学し、日高鉄翁、木下逸雲、陳逸舟らと交友し、明清画を学んだ。
明治6年(1873)のウィーン万博、同26年(1893)のシカゴ万博に出品。
内国勧業博覧会でも受賞を重ね、日本画旧派の大家として活躍した。
宮内省や外務省の絵画御用をつとめ、明治26年(1893)帝室技芸員となった。
美術史家・滝精一は長男。
作家について
奥原晴湖(1837~1913)は、古河藩士池田政明の四女として生まれた。名は節、通称せい子。別号に石芳、秋琴、雲錦などがある。画房を墨吐煙雲楼と称した。漢学を芽根一鷗に、画を牧田水石に学んだ。のちに明清の...
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