三輪田米山 (みわだべいざん)
三輪田米山(1821~1908)は、愛媛県の日尾八幡神社の神官の家に長男として生まれた。幼名は秀雄、のちに常貞と名乗る。字は子廉、号は米山のほか、清門、得正軒主人がある。
国学は大国隆正に、書は日下白巌に学んだ。10代後半に祖母の勧めで手習いを始めた。「淳化閣帖」や「絳帖」など王羲之の書に範を求め、ほぼ独学で徹底して学んだ。
肉太で気迫の漲る豪快な彼の書は、独自の書美を備え、逸格の書、破格の書といわれる。書と酒の逸話が数多く伝わることでも有名で、「打ち臥すか臥さぬなければ筆とれ申さず」(酒なしには筆は持てない)と日記に記す。
実業家の山本發次郎は米山を高く評価しその蒐集に情熱を傾けた。これにより米山の名が全国的に知られるようになった。