狩野山雪 (かのうさんせつ)
狩野山雪(1590~1651)は、狩野山楽の娘婿として京狩野家2代当主となった。山楽からの九条家との関係を保ちながら妙心寺天球院障壁画や<雪汀水禽図屏風>のように細部に描きこんだ作品を多く残した。
1647年には法橋にも叙せらる。ところがその直後、義弟の金銭トラブルに巻き込まれて投獄される。この時、山雪を救ったのが九条幸家だった。京狩野は再び九条家に救われたのである。
投獄の影響か、1651年に他界する。
狩野山雪(1590~1651)は、狩野山楽の娘婿として京狩野家2代当主となった。山楽からの九条家との関係を保ちながら妙心寺天球院障壁画や<雪汀水禽図屏風>のように細部に描きこんだ作品を多く残した。
1647年には法橋にも叙せらる。ところがその直後、義弟の金銭トラブルに巻き込まれて投獄される。この時、山雪を救ったのが九条幸家だった。京狩野は再び九条家に救われたのである。
投獄の影響か、1651年に他界する。