赤松鶴年 (あかまつかくねん)
赤松鶴年は、生没年不詳で、岸駒の門下。「平安画工視相撲」(文化10年頃)において、西前頭三段目第二番にその名がみえるほかは、資料に確認できず、人物不詳である。書画展観や寄合作品にも確認できない。事情は不明だが、画壇の表には殆ど顔を出していないようである。岸駒門人とは異なり、池坊専定のような立場の人物と思われる。
赤松鶴年は、生没年不詳で、岸駒の門下。「平安画工視相撲」(文化10年頃)において、西前頭三段目第二番にその名がみえるほかは、資料に確認できず、人物不詳である。書画展観や寄合作品にも確認できない。事情は不明だが、画壇の表には殆ど顔を出していないようである。岸駒門人とは異なり、池坊専定のような立場の人物と思われる。