野呂介石 (のろかいせき)
野呂介石(1747~1828)は、紀伊国和歌山の富裕な町人の家に生まれる。若くして、紀伊藩の儒学者、伊藤蘭嵎に儒学を学んだ。寛政5年に紀伊藩主に取り立てられ、医業をもって、後には銅山方としてつとめたという。絵は黄檗宗の画僧、鶴亭に師事したとも伝えるが、21歳頃、池大雅に学んだと思われ、桑山玉洲とも交流がある。中国、清の絵画、特に伊孚九の影響も知られている。「介石画話」「四碧斎画話」は介石の話を弟子が書き留めたものである。
野呂介石(1747~1828)は、紀伊国和歌山の富裕な町人の家に生まれる。若くして、紀伊藩の儒学者、伊藤蘭嵎に儒学を学んだ。寛政5年に紀伊藩主に取り立てられ、医業をもって、後には銅山方としてつとめたという。絵は黄檗宗の画僧、鶴亭に師事したとも伝えるが、21歳頃、池大雅に学んだと思われ、桑山玉洲とも交流がある。中国、清の絵画、特に伊孚九の影響も知られている。「介石画話」「四碧斎画話」は介石の話を弟子が書き留めたものである。