鈴木芙蓉 (すずきふよう)
鈴木芙蓉(1752~1816)は、信濃国北方村の旧家に生まれる。江戸に出て、天明5年には林家に入門し儒学を学ぶ。絵は渡辺湊水、玄対親子に学んだと思われる。寛政8年に、元徳島藩の儒学者であった柴野栗山の紹介で徳島藩御用絵師となる。公務により各地の真景図を描き、「熊野遊記名勝図画」などの刊本も残した。清の画家、費漢源の山水画法を図示した「費漢源山水画式」を刊行するなど中国絵画もよく学び、日本の諸派をも広く吸収した。
鈴木芙蓉(1752~1816)は、信濃国北方村の旧家に生まれる。江戸に出て、天明5年には林家に入門し儒学を学ぶ。絵は渡辺湊水、玄対親子に学んだと思われる。寛政8年に、元徳島藩の儒学者であった柴野栗山の紹介で徳島藩御用絵師となる。公務により各地の真景図を描き、「熊野遊記名勝図画」などの刊本も残した。清の画家、費漢源の山水画法を図示した「費漢源山水画式」を刊行するなど中国絵画もよく学び、日本の諸派をも広く吸収した。