大岡雲峰 (おおおかうんぽう)
大岡雲峰(1765~1848)は、筑後柳川侯立花家の家臣、牛田忠光の子で、のちに幕府の旗本、大岡助詰の養嗣子となったという。天明8年家督を継ぐ。寛政3年に表右筆、翌年には奥右筆見習いとなるが、ほどなく辞する。絵は鈴木芙蓉に学び、谷文晁とも交流した。「草木奇品家雅見」「草木錦葉集」などに図を寄せ、前者では校閲も担当するなど、博物図譜の刊行にも関わっている。
大岡雲峰(1765~1848)は、筑後柳川侯立花家の家臣、牛田忠光の子で、のちに幕府の旗本、大岡助詰の養嗣子となったという。天明8年家督を継ぐ。寛政3年に表右筆、翌年には奥右筆見習いとなるが、ほどなく辞する。絵は鈴木芙蓉に学び、谷文晁とも交流した。「草木奇品家雅見」「草木錦葉集」などに図を寄せ、前者では校閲も担当するなど、博物図譜の刊行にも関わっている。