福田半香 (ふくだはんこう)
福田半香(1804~1864)は、現静岡県磐田市(遠州見付宿)に生まれる。天保4年30歳の時、田原に出て渡辺崋山を訪ね、翌年に江戸に出て改めて崋山門に入る。同門の椿椿山が花卉に巧みであったため、半香は山水画に心を注いだ。元明諸家の法を研鑚した。また、蛮社の獄で田原蟄居となった崋山を心配し、半香は画を売るために頒布会を開いた。しかし、逆に崋山の自刃の因となってしまった。半香は悔やみ、「私は師の窮乏を救おうとして、かえって師を災厄に陥らしめてしまった。地下で謝罪するのだ」と崋山の菩提寺である小石川富坂下善雄寺に葬らしめた。