慈雲飲光 (じうんおんこう)
慈雲飲光(1718~1805)は、大阪をはじめ近畿の寺を中心に、修行と活動を続けた真言宗の僧。当時の仏教界のあり方を批判し、戒律の復興につとめ、また梵語学の研究に没頭し、広く宗派を超えて研鑽を積み、在家者のためには釈尊の教えや人なる道をわかりやすく説いた。書や和歌も多数のこしている。大和郡山藩主の柳沢保光をはじめ、慈雲を尊崇する人々は非常に多かったという。
慈雲飲光(1718~1805)は、大阪をはじめ近畿の寺を中心に、修行と活動を続けた真言宗の僧。当時の仏教界のあり方を批判し、戒律の復興につとめ、また梵語学の研究に没頭し、広く宗派を超えて研鑽を積み、在家者のためには釈尊の教えや人なる道をわかりやすく説いた。書や和歌も多数のこしている。大和郡山藩主の柳沢保光をはじめ、慈雲を尊崇する人々は非常に多かったという。