賀茂真淵 (かものまぶち)
賀茂真淵(1697-1769)は、江戸時代中期の国学者・歌人。遠江国敷知郡(今の静岡県浜松市)の神官、岡部政信の子として生まれた。名は政躬、政藤、淵満などを経て真淵とした。通称は庄助、三四、与一、衛一など。賀茂氏の後裔にあたることからこの姓を名乗った。
従兄岡部政長の婿養子となったが、28歳の時に妻が歿し、生家に戻ったのちに浜松の脇本陣、梅谷甚三郎の養子となった。漢学も学び、37歳で上洛して荷田春満に師事。その歿後は江戸に移り、50歳の時に和学をもって八代将軍徳川吉宗の次男、田安宗武に仕えた。これ以降、『万葉集』や『古事記』などの古典の研究に傾倒し、数多くの著書を遺している。『国意考』『歌意考』『万葉考』『旅のなぐさ』など。門下には本居宣長、橘千蔭、村田春海、楫取魚彦らがいる。