本居宣長 (もとおりのりなが)
本居宣長(1730-1801)は、江戸時代中期の国学者。伊勢松坂(三重県松阪市)の木綿商小津定利の子として生まれた。名は栄貞のちに宣長、通称は弥四郎など。本居は小津氏の先祖の姓。号に春庵や芝蘭、鈴屋などがある。
19歳の時に紙商今井家の養子となったが、離縁になり実家に戻った。義兄の歿後、商家を継いだが、母の勧めによって医師に転じた。京に出て堀景三に漢学を、堀元厚や武川幸順に医を学ぶ。この頃、契沖の思想に触れ、国学に向かう契機となった。松坂で医師を務めるかたわら、『万葉集』『古今和歌集』などの古典を講じ、門弟は500人を超えた。35歳で賀茂真淵の門に入って『古事記伝』の執筆にかかり、35年をかけて44巻を著した。
著作は、日本の情緒の特質が「もののあはれ」にあることを説いた『石上私淑言』のほか、『紫文要領』『源氏物語玉の小櫛』『てにをは紐鏡』『詞の玉緒』『葛花』など数多い。